【本】「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」

僕の死に方 エンディングダイアリー500日
僕の死に方 エンディングダイアリー500日

買うときに、とても迷っていたのですが、やはり買ってよかったなと思った一冊です。

一時期、休職したての頃、「人は何故生きていなくてはいけないんだろう?」と疑問に思い、真剣に「自分が死んだらどうなるだろう?」と考えていたことがありました。

休職する直前の頃、駅のホームで電車を待っているときに、ふとふらっと電車に飛び込みそうになる自分と、必死に戦っていたことがあり、その直後に「休職」が決まると、今度は張りつめたものが緩んで、一気に何もかもが面倒になってしまった(自殺することも面倒だった)時期のことです。

私は両親と同居しているのですが、
「もし私が今死んだら、きっと今まで私がとても大切にしていたものも、両親にはわからずに、きっとガラクタ扱いで捨てられてしまうんだろうなあ」
と思っていたときに、同年代の金子哲雄さんが、自分の葬儀や戒名、墓など、死後のことをすべて自分で用意して亡くなられたことを知りました。

最初、この本が出版されているのを知ったとき、きっと読んだら号泣してしまうんじゃないかと思いました。
書店で一旦手にして、また棚に戻して、そしてまた戻って来て手に取る、ということを繰り返ししていました。
しかし、私がそのようにためらっている間、ある初老の男性がこの本をずっと食い入るように読んでいました。
何だか、私はその男性の気持ちがわかるような気がしました。
「きっと自分が死んだ後のことが気になるんだろうなあ。みんな考えることは同じだなあ」

確かに、著者の「死に方」というのは、用意周到、準備万端という感じで、私などは著者ご本人には申し訳ないのですが、「このように死にたい」と思うような、理想的なものでした。

自分の「死に方」に対する、このようにしっかりとした意思表示をするなんて、どんな背景があるのだろう、どのような気持ちでこのような準備を行ったのだろうと、言葉は悪いですが、とても興味があったのです。

読んでみると、著者ご本人の仕事への飽くなき情熱がありながら、周りへの気遣いや愛情に満ちあふれた内容でした。

人は、自殺でも他殺でも、老衰にしても病死、事故死にしても、必ず他人の手を借りないといけないと、死ねません。
他人に迷惑をかけずに死ぬことは出来ないのです。
言葉を変えて言うなら、「他人の協力なくては、死ぬことが出来ない」のです。
病気のことに気づいてから死ぬまでの500日間というのは、著者にとって残酷であったかもしれませんが、最後まで生き抜くためのご本人の努力と、周りの人々との共同作業だったとも言えるでしょう。

そういう意味では、最期まで生きることを諦めなかった「生きた証」としての、積極的な死であったのだと、私はこの本を読んでそう思いました。

ご冥福をお祈りします。

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