コラム · ハンドリーディング

「当たるも八卦当たらぬも八卦」という言葉から思うこと。

【当たるも八卦当たらぬも八卦の解説】
【注釈】 占いは、当たることもあるし外れることもなるものなのだから、占いの吉凶は気にするなということで、悪い結果が出たときに使われることが多い。
「八卦」とは占いのこと。易で、陰と陽を示す算木の組み合わせで得られる八種の形から。<「故事ことわざ辞典」より>

という言葉から、ハンドリーディングについて考えてみました。

ハンドリーディングを共に学ぶ、お仲間さんに「ハンドリーディングって、『占い』じゃないよねー?」と訊くと、「そうやなー」と同意されました。

確かに、書店などに行くと、「占い」コーナーに本があるし、「手相占い」というタイトルの本もあります。
でも、何となく「占い」という言葉に、違和感を感じていて。

「コトバンク」の世界大百科事典 第2版の解説には、このように掲載されています。

うらない【占い】

通常の知覚や合理的な推論によっては認識できない事がらに関して,一定の〈しるし〉を解釈することによって情報を得る方法。 占いによって明らかにされるのは,現在や過去の隠れた事実,未来のできごと,個人の運命や行おうとしている行為の是非などであるが,実践的な判断を下すことを迫られている個人や集団のために行われるのがふつうであり,答えられるべき問いは,実践的かつ個別的である。たとえば,一般によい住居とはどのようなものかが問われるのではなく,そこに住む特定の家族が繁栄するためには,彼らの住居はどのように建てられるべきかが問われる。

何だかまわりくどい文章ですが、まだこちらの方が、自分的にはしっくりきます。
「通常の知覚や合理的な推論によっては認識できない事がらに関して,一定の〈しるし〉を解釈することによって情報を得る方法。」というのが、特に。

よく、ハンドリーディングの結果について、「当たってる」「当たってない」という判断をされるのですが、実はリーディングしているときには、あまり気にしてないんですよね。

「当たってる」は、クライアント(手を読ませていただく依頼者)さまが、自覚していて、認めている内容で、「当たってない」は、無自覚だったり、認めたくない内容だったりするだけなんです。

「手はこんな風に言ってますよ」と、掌からのメッセージをお伝えした時点で、結果には関与してはいけないんだな、「受け入れる」「受け入れない」ということも、クライアントさまに委ねるという姿勢が大事なんだな、とリーディングの回数を重ねる毎に痛感しています。

でも、ときどき自分でリーディング結果を誘導してしまいそうなときもあります。

私の場合、「リーディング鑑定書」というのを作成するのですが、何となく自分で答えを用意して、それに基づいて誘導してしまっているときには、何となく違和感を感じるので、そういうときには、一度全体を読み返したり、もう一度最初から見直したりします。

そうすると、最初とは違う結果になったり、一見ちぐはぐに見えたとしても、最後には「そうか!」と、腑に落ちるんです。
腑に落ちた結果だと、その時点で不思議なほど、結果に執着しなくなります。
「もし、クライアントさまの気に入らない答えだったとしても、それはそれ。だって、『手』はこう言ってるんだもの」と。

この思いは、忘れてはいけないな、と思います。


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